起業の
きっかけ
ストーリー
断ることが出来なかった宅配クック123の0号店
今から25年程前、大阪市内に存在していた宅配クック123の0号店。
一般的なお弁当店として稼働していた0号店は1999年末をもって閉店が
決まっていました。
当時、退院時に病院から紹介され0号店を利用していたご高齢者の中には、お弁当の配食が開始される前は、5個入りのあんぱんを数日に分けて食べていた方や、食べきれなくても配達料が無料になるように、大衆食堂に毎回1,000円以上の出前を注文していた方もいました。そのため、お客様に年末で0号店閉店の案内をするとき、その方々の今後のお食事のことを想像すると、どうしても配食を「断ることが出来なかった」のです。その後、配食が必要なご高齢の方々のみをお客様として残し、一般向けのお弁当店は閉店し、全国初の高齢者専門宅配弁当店として宅配クック123が誕生しました。
お客様の様子を目にして
当時、0号店はまだ日替わりメニューの無い一般的なお弁当店でしたので、お客様が自分で選んだお弁当と指定された量のご飯を配達していました。ある日の夕方、体調が悪いようで床に伏されており、配達した弁当をそのまま冷蔵庫に入れて帰って欲しいと頼まれました。冷蔵庫のドアを開けると、タッパーやサランラップに包まれた食べ残しの物が上から下の段までぎっしりと整理もされず、散らかすように積まれてあるのを見つけました。何をどの順番でしまわれたのかも全く分からない程の酷い有様でした。台所には出されていないゴミ袋が山積みされていて異臭が漂っていました。
その様子を目撃してからは、大袈裟ではなく「お客様の好きな物を好きなだけ」を連日お届けする事が恐怖でしかなくなったのです。その時にお弁当は自由に選んでもらうのではなく、日替わりにしようと決心しました。そして、好きなお弁当を選べない代わりに1度で食べ切れる量にして、栄養のバランスを整えたものにしようと思いました。
当時気付いたことの1つに、ご高齢になると「食べたい物」と「食べられる物」が徐々に変わっていくことがあります。上記のお客様も年々そのようになっていきました。
食べ物でお客様の寿命自体は延ばせなかったとしても、食べ物でお客様が健康である時間は延ばせると思っています。「お節介」という昔からの便利な言葉もありますので、一般弁当店のように好きな物を好きなだけ選べず不自由かも知れませんが、屋号通り「向こう三軒両隣りの隣人」として「お節介」させていただきたいと思っています。